episode05

独立・起業

1冊の本との出逢い

1冊の本と出逢った。
その本は、心友から贈られてきた。

ある研修を1年間受け、その中で代表に選ばれた2人が1年後後輩たちの前で講演する。

それに選ばれ、熱く語ったあの日、最前列で目をキラキラ輝かせて聴いてくれていた、正部政和くん。
その彼が、贈ってくれた。絶対に読んだ方がいい!と。

手紙屋

喜多川泰著:手紙屋

僕は、この研修を受けたこと、この心友と出逢ったこと、この本と出逢ったこと、
この3つで人生が変わりました。

打ち破れない壁

僕は専門学校を卒業して、20歳で入社した、ノンキャリア組。
100年以上続く歴史ある会社は、組織も人財も考え方にも歴史を感じました。

打ち破れない壁がある。

全社NO.1の称号を何年も獲得し続け、社長表彰も2年連続受賞。
それでも、会社員としての評価は、上がりませんでした。

開くキャリア組との差。

その差が埋まらないと知った時、悔しさ、悲しさ、もどかしさよりも、諦めを感じました。

ここにいたら、これまでだ。

絶対的な安心、安全、安定と引き換えに、失っているものは何だろう。
そんなことを考えるようになったある日、研修を受けるように言われました。

理想 − 現実 = 問題

1年間の研修。
ノンキャリアがセミキャリアくらいになれる研修。

ここでの学び、出逢いが僕の人生を大きく変えるとは、この時1mmも思いませんでした。

日産を早期退職した方が講師を務める研修。
今の組織が抱える問題を1年かけてどう解決するか?

実践的な問題解決研修。

僕はその研修に、エネファームの拡販、販売店の自立自走をテーマとして、挑みました。

1年を通して、問題に取り組みました。
エネファームが売れなかった理由も、販売店さんが取り組んでくれなかった理由も、
お客さまが買ってくれなかった理由も、早期にわかりました。

売るため、売れるための問題(障害)を排除し、あとは拡販するだけ。
その準備が整ったのは、研修開始3ヶ月後のことでした。

全社最速かつ最大達成

研修の成果は、ありえない実績として現れました。

何よりも、問題の見つけ方、問題の深堀、問題の解決方法を学べたことはその後の仕事の進め方に、
大きく影響を与えてくれました。

この研修後、37歳に他部署に異動するまで、
一度も全社No.1の座を明け渡すことがなかったことが、それを証明しています。

全国デビューと一筋の光

人生のシナリオは、少しずつ書き換わっているのか、そう思わせることが少しずつ増えてきました。

ある日、本社スタッフに、広告代理店に来るよう言われました。全社から集められた精鋭たちが、模擬商談をすると言うのです。時間差で集められた僕らが、HH堂さまの前で、プレゼンをする。その様子を本社のスタッフが別室で映像確認していたようです。自分の時間が終了すると、呼び出されました。

正式に依頼します。広島ガスさんへ研修に行ってください。

そう笑顔で言われた僕は、最初なんの話かわからず、ポカンとしたのを覚えています。

本社の依頼は、こうでした。

  • エネファームが売れているのは一部のガス会社のみ
  • これから拡販しようとしても、売り方がわからない
  • 中四国地方で拡販したいと考えている広島ガスさん
  • そこにエネファームの売り方を伝えに行って欲しい
  • 現場に即した、より実践的な売り方を伝えて欲しい

人生で初めて、人に認められた気がしました。
人生で初めて、仕事を認められた気がしました。

所属部署も名誉なことだと、二つ返事で認めてくれ、社外講演が決まりました。

飾ることなく、自分を出すだけでいい、そんなお墨付きをいただいていました。

スケジュールも決まり、パワーポイントの資料も仕上げ、あとは行って話すだけの状態になりました。

そこで、ふと、思いました。

大阪で話している内容は、広島に通じるのか?
広島で実際に使っている、カタログ、提案ツールを実際に僕が使ってみる。
その方が伝わるんじゃないのか?

普段、お客さまのことを、真剣に考えているように
今回のお客さまのことを真剣に考えよう。

今回のお客さまは、広島ガスさん。
広島ガスさんが、聴いて嬉しい、すぐに使える、そんな内容にしよう。

思うが先か行動が先か、気づいたら電話していました。

取り寄せたカタログを見て、愕然としました。
このままでは、講演は失敗する、確実に失敗すると。

当時、在籍していた大阪ガスと広島ガスさんでは、似て非なるツールを使っていました。
記載される数値も違いますし、表現方法も随分と違うものでした。

1週間後に迫った講演を前に、必死にカタログの読み込みを始めました。
僕が広島ガスさんの社員なら、このカタログをどう使うか?
どう使うと、お客さまに、笑顔になってもらえるのか?
徹底的に考えました。

他社のカタログとの出逢いは、僕の新しい扉を開きました。
常識は、狭い世界の中にある。
その壁を破ってこそ、初めて新しい常識を作ることができる。

大阪ガスでの経験を活かし、広島ガスさんのカタログを使えるように読み込む。

新鮮な感覚でした。でも、本質は同じ、読み込めば読み込むほどわかりました。

迎えた当日、細かな表現も全て、広島ガスさん仕様にした講演。
午前、午後の講演は、大好評に終わりました。

その会場に来られていたのが、燃料電池普及協会の方。
この方との出逢いが、全国への扉を開きました。

難しいコトを、いかに簡単に伝えるか

講演が好評だったことが、社内でも広がり、販売店さまが集まる決起大会で講演。
これも好評で、全社的な大拡販に繋がっていきました。

そして、迎えた全国デビューの日。

カタログの1ページ、1ページを、分解してわかりやすく、お客さまの立場に立った説明ができるように説明しました。会場に来られていた400名を超える方々から「わかりやすかった!」「希望の光が見えた!」「当社も早速取り組んでみる!」と喜びの声をたくさんいただきました。

この年以降、3年に渡り、東京へお呼びいただき、お話しさせていただく機会を得ました。
僕にとって非常にありがたい経験でしたし、今に繋がるご縁もたくさんいただきました。

お前の有休、公休、振休は、なんのためにあるんや?

講演会の後に大量の名刺交換をする。
「うちの会社に来て話してほしい」
「うちの社員に火をつけてほしい」
「うちの市場でもできることを伝えてほしい」

こんな声とともに、連絡先を交換しました。
固く握手して、再会を約束したはずなのに、一向にその日は訪れない。
不信を抱き、オファーの確認をすると、全て断られていました。

もちろん、当時僕は社員ですし、勝手な行動はできません。
わかっていても、聞きたいという人を目の前に、お話できないもどかしさ。
全国的に販売が苦戦する中で、どうして横のつながりを強化しないのか?
会社に対する不信感を一方的に募らせていきました。

そんなある日、一通のメールが届きました。

「弊社のような予算も少額しか組めない小さな会社には、お話しに来てくれないんですね」

この一通のメールで、僕の心のダムが決壊しました。当時の所属長に直談判をしたのです。
もう、自分の気持ちに嘘はつけませんでした。

お盆明け、蝉の声がうるさく感じたあの日、その上司は僕にこう言いました。

「お前の有休、公休、振休は、なんのためにあるんや?」

今でも尊敬してやまない、この上司に言われた言葉。
上司としても精一杯の言葉だったように思います。
僕のわがままを最大限受け入れ、理解し、背中を押してくれました。

背中を押された僕は、全力で走り出しました。
始めたのが、ボランティア研修。無給で研修を実施することにしました。
九州、中国、四国、北陸、関東、東北と、北海道以外に赴きました。
この時培った研修ノウハウが、今の自分へつながっています。

1時間の研修から、1日研修を1年間。
知らない街、知らない会社、知らない世界を1つずつ「知る」に変換。
今につながる道を一歩一歩、進んで行くことになりました。

大阪以外で仕事をするようになって、たくさんの気づきを得ました。
その1つが、視座、視野、視点の多角化です。

世界は大阪だけではない、当たり前だけど、気づけないポイントです。

市場が違う、世帯収入が違うなど、初めての街、初めての会社では、売れない理由をお話しくださいます。

その時、大阪しか知らない自分と、大阪以外を知っている自分では、全く違うアプローチをします。

できない理由より、できる理由を考えよう!とはよく言いますが、
このころの経験があったからこそ、問題の深堀が多角的にできるようになりました。

突然の辞令、畑違いの仕事、そして退職へ

自分のしたいことをしていた当時の自分。
今振り返ると、扱いにくい部下だったんだろうなぁと思います。

僕自身は
会社が大好きでした。

扱っている商材が大好きでした。
何より、仕事が大好きでした。

でも、組織には組織のルールがありますし、決められたルールの中で実績をだす必要があります。
異端児、異常値と言われた僕は、実績は出すものの、上司として、会社として、頭が痛い存在でした。

ある日、異動辞令を命ぜられました。

新しい仕事は、新築工務店営業。
既築営業11年、会社の、営業の、この仕事の最前線で走って来たのに、寝耳に水の異動でした。

この辞令をきっかけに「独立・起業」への思いが、一気に現実に向けて走り出すことになりました。

でも、いつ、どのタイミングで、退職する?迷いも生じました。
38歳、辞令直後の退職は、自分が負けたような感覚になる。
だったら、新しい職場でも実績をしっかり出して辞めよう。

そう決意して、リスタートしました。

今までの経験がどう活かすことができるのか?
新しい仕事にどんな新風を吹かすことができるのか?

それから2年半、全力で駆け抜けました。

工務店さまの社長と未来について語る。
僕にとって本当に新鮮で、新たな視点もたくさんもらえました。

土地を買われた工務店さまの情報を元に、ガスの採用から発電機まで。
今まで誰も成し遂げなかった仕様で採用いただく。

それを目標に動きました。

最初の半年は実績が全く出ませんでした。
少しずつ信用を積み重ね、半年後驚くべき結果になりました。

家庭用燃料電池エネファーム、太陽光発電、全部屋床暖房、ミスト付き浴室乾燥機、
ガラストップコンロ、ホームセキュリティ、大阪ガスの電気を全戸に採用という、フルスペック契約。

今までにないこの仕様は、10年後の機器更新時にも離脱がない仕様として、全社からも注目されました。

新築営業2年目には、担当工務店さまが建てた5年以内の物件500戸に営業。
2ヶ月で9物件のダブル発電を契約。工務店の社長さまが大いに喜ばれる事例を作り、
着工される年間100棟を「ダブル発電にする」との約束していただきました。

この実績を持って、退職。独立へ準備を始めました。

実は、2017年末で退職したのですが、師匠への相談は5年前、2012年の冬、
東京銀座の夜に遡ります。

僕は夢を語り、こう生きたい!と伝えました。
笑顔で聴き笑顔で切ってくれた師匠は、一言こう言いました。

99.9%失敗するから、やめておきなさい。

その後、新築に転勤、独立に向けて準備を進めました。
今まで書いたこともない事業計画書を必死に作成。
現状の市場分析、市場の整腸性、自分の強み、そして生きる場所、求められる場所の確認、
独立後4社の契約をいただけることを確約してもらい、再度師匠にアポを取ったのが、2016年春。
その時、こう言ってくれました。

よくできている。待っていたよ、山﨑さん、一緒に日本を変えていこう、元気にしていこう。
笑顔で働く大人を増やして、成長率110%の世の中を創ろう!!と。

固い握手をした、京都駅を僕は忘れません。忘れることができません。

師匠が改札口から見えなくなるまで、頭を下げて見送りました。
そして、大きく深呼吸。明日退職届を出そうと決意しました。

翌日、退職の相談をしました。
でも、退職届は即受理されませんでした。

受理まで1年、今では笑い話ですが、辛い1年でもありました。

でもこの1年が、僕を大きく成長させてくれました。
準備不足でした。その不足を補え!と天が与えてくれた時間でもありました。

準備が整った2017年12月末日、19年9ヶ月お世話になった大阪ガス株式会社を円満退職。
年が明けて2018年7月24日に、法人化と歩みを進めました。

僕は今でも、大阪ガス株式会社を愛しています。
大好きな業界です。大好きな会社です。大好きな仕事です。

インフラ産業がもっと変われば、日本はもっと良くなる!

それを胸に今、日々仕事をしています。