episode03

やり方MAXで実績を出した時代

そもそも、中学校で登校拒否をしていた僕は、人とコミュニケーションを取ることが大の苦手。ましてや、営業として、人にモノを勧めることは、嫌悪感すら抱くことでした。

当時の仕事は、販売店さまのルート営業。本来であれば、販売店さまに自社商品を売ってもらうために、営業をするのが日々のミッション。ところが、2003年に、ガスの家庭用発電機エコウィルがデビュー。1台80万円するこの機械を、誰も売ろうとはしてくれませんでした。

販売店さまにお願いしても、ダメ。
諸先輩方に売り方を聴いても、不明。

どうすれば、売れるのか?
どうすれば、使ってもらえるのか?

売れ!という会社、売れない!という販売店。板挟みにあい、八方塞がりで、困惑を極めている時に、運命の出会いは突然にやってきました。

退職後も、何度もお世話になった、Tチーフとの出会いです。

山﨑、販売店が、売りたがらない。
ベテランの先輩方も、売り方を知らない。

誰も、売り方を確立していない現状を、どう考える?
お前が、売り方を作ろうとは思わないか?

こんな風に諭され、覚悟を決めました。

誰もまだ、わからない“売り方”を、自分が創る。
心が震えましたが、誰もしていないことを、自分がする怖さもありました。

(当時はパソコンばっかり見て、そこに売り方書いてんのか?って怒られました。笑)

ルート営業が直営業に行く。
それは、当時どの販売チームもしていない、未知の世界でした。

スタッフに、巡回用のリストを作ってもらい、覚悟を決めて巡回開始。

そうしたらなんと、飛び込み営業3軒目で契約が取れたんです。
その日、さらに2軒、合計2軒の契約が取れました。

80万円の発電機、消費税と施工を含めると約100万円になる機械がなぜ、飛び込みで売れたのか?今だから話せますが、当時は強引きわまりない売り方だったように思います。

光熱費、高いんですよね?安くしたいですよね?
施工込み、100万円の機械が今なら80万円。
普通の給湯器との差額が40万円。
補助金を受け取ると、差額は20万円。
1年間で約4万円の光熱費メリットがあって、約6年で投資回収ができる。
さらに今なら、10年経過したコンロを新品に交換させてもらいます。
こんな美味しい話なのに、なんでやらないんですか?

書いていても、ゾッとするトークとシナリオですが、当時の僕には精一杯のモノ。

この当時のお客さまには、本当に感謝しています。
こんなトークで、よくぞ、買ってくださいました。

確かに僕は、必死でした。
でも、会社名がなかったら、絶対に売れていなかっただろうと思います。

僕自身の信用ではなく、会社の名前に付随する信用。
その信用に甘えて、売っていました。

だからこそ、この頃のお客さまには頭が上がりません。
今の僕があるのも、この頃の販売実績があって、信用の階段を登りましたから。

飛び込み営業で実績を上げだすと、販売店の営業部長が不思議がりました。
「山﨑さん、一体何してるん?なんでそんなに簡単に売れるん?」
「そんな簡単に売れるんやったら、俺のお得意さまを一緒に回ろうか?」と。

そして、始まった、部長との同行営業。アポは部長が、詳しい話は僕が。
結果的に、その部長のお得意さまで、1ヶ月に14台の販売をさせてもらいました。

売り方が確立できてくると、部長とタッグを組んで拡販に務めました。

07:00 販売店へ直行出社
07:30 営業向け勉強会
08:30 朝礼
09:00 施工現場へ
11:00 見込みフォロー
12:00 販売店にて昼食
13:00 営業同行
15:00 見込みフォロー
17:00 見込みフォロー
19:00 営業向け勉強会
20:00 夕礼
21:00 販売店から直帰(部長と懇親会もほぼ毎日)
01:00 帰宅就寝

今のご時世では考えられないような働き方。
直行直帰を多用し、会社に出社せず、担当の販売店の社員のように働く。
地獄のような3ヶ月間でしたが、結果的に7月末に全社最速で目標達成。

前年実績は14台、それが4ヶ月で70台を販売した事実は、衝撃的でした。

その1年は110台の販売を達成。以降、社内では「発電機の売り方は山﨑に聞け!」という風に、今の自分の基礎が出来上がっていきました。

一度、全社NO.1を取ると、もう一度NO.1を取りたい!という気持ちと、2番に落ちる怖さが芽生えてきました。どうすればもっと売れるのか?どうすれば自分が成長できるのか?

この頃から、営業系の本を読むようになりました。

「おもしろいように売れる○○の法則」「営業の基礎」的な本は、片っ端から読んでいました。ただ、新書ではお金が掛かりすぎるので、月に1回、ブックオフに100円の本を10冊買いに行く生活。みるみるうちに、自宅の書斎は、HOW-TO系の本で埋まって行きました。

それ以外に、社内で優先的に受けさせてもらえる研修とセミナーは、ほとんど受けました。

“時短”で“安価”にレベルアップできるものは、全部取り込み、インプットの翌日には、お客さま宅でアウトプットをする。その繰り返しで実績を伸ばして行きました。

担当する販売店が目標達成すれば、僕が辞令を受ける。まだ、目標未達の販売店を担当し、達成に向けて尽力する。今では笑い話ですが、たった4ヶ月で担当替えということもありました。僕の歓迎会が送別会を兼ねる。担当する会社の従業員さんの名前を全員覚える前に、送別される・・・みたいなこともありました。

当時は、目標達成だけにフォーカスして、売る方法、売れる方法、売らす方法を必死に追いかけていました。それが正義で、そこに向かって走らない人を当然のように批判する、目標は必ず達成するけれど、社内に敵の多い、傲慢で視野の狭い、山﨑太一が出来上がって行きました。

研修の様子